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「もし、あの時、タクシン元首相の判断がもっと早ければ…」

「おごれる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者もついにはほろびぬ…」。平家物語の時代から言われていることですが、この盛者必衰は後世の批評家が評するもので、渦中の権力者はなかなかそれに気がつないようです。

タイのスワンナプーム国際空港およびドンムアン空港が2008年11月25日から12月4日まで、首相退陣を求める黄色いシャツを着た反政府グループのデモ隊に占拠され閉鎖された事件はタイばかりでなく、日本でも大きく報道されました。

乱暴にいえば、タクシン元首相を支持する政党にどうしても選挙で勝てないグループが、選挙以外の方法で政権を奪おうとしたわけですが、その年の12月2日、裁判所が政権党をはじめとする与党3党を解党とする判決を言い渡したことで、首相失職、政権崩壊となり、これに満足したデモ隊はその2日後、解散を決めました。

ただ、政権は崩壊したものの、議会が解散されたわけではないので、すぐに新たな首相選びが始まります。ここで、タクシン元首相を支持するブループは高齢の首相経験者を担ぎ出し、一方、対立するブループは野党指導者を首相候補として擁立しました。あとは解党を逃れた政党を味方につけるだけです。

野党側はなりふりかまわず閣僚ポストを約束して自分の陣営に取り込もうとしました。ところが、「拙速」とも揶揄されていたタクシン元首相からの指示がこの時なぜか遅れてしまいます。というのも解党処分が出るとは思わなかった節があります。裁判所が解党を命じる判決を下した時、タクシン派の重鎮中の重鎮は驚き、「政党は簡単に解党したらダメだ」と静かにづぶやいていました。そのため、タクシン元首相は閣僚の割り振り、重要ポストの割り振りを即断できなかったのでしょう。その間に自身の部下が敵方に寝返り、結局、政権を明け渡すことになってしまいました。

あの時、最悪の結果を予測して、事前に指令を下していたら、タイの政局はまったく違う展開になっていたかもしれません。当時の野党に政権を渡すことはなかったかもしれません。あらゆる可能性を考え、最悪の事態を想定して、対策を決めておく。ビジネス界で大成したタクシン元首相にとり当たり前だったことが、この時はできませんでした。その後、深い後悔があったことは想像に難くありません。

「最悪の事態を予想して、あらかじめ対応策を練っておく」。この教訓は今も自身の仕事に活かされています。

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