10年一昔というけれど10年ではまだ「昔」とはいえないような。私にとっての一昔は35年前。タイとの関わりが始まった1980年代後半である。そして、最初の定宿となったのは1995年10月23日に営業を止めたジュライホテルだった。
このホテルが日本人のたまり場となった理由は、ノンエアコンのシングルが1泊80バーツ(その後120バーツまで値上げされた)という料金の安さに加え、部屋の設備・サービスがそれなりに充実していたことがある。曲がりなりにもトイレ・シャワー完備(便器に便座はなくゴキブリが頻繁に出てはいたが…)であり、強弱の効かない扇風機、デコボコでシミだらけマットレスが乗ったベッド、薄暗い蛍光灯、扉のない壊れかけた洋服ダンス、穴だらけの網戸が付いていた。ドアに南京錠は付けられないため常に窃盗の危険性があり、地元の警察から目を付けられ、在タイ日本国大使館からは目の敵にされていた。
それでも中東・西南アジアでドミトリー(一部屋にいくつものベッドが置いてあり、宿泊者はそのひとつを使用する。プライバシーはない)生活を続けていた私にとっては個室というだけで贅沢であり、「住めば都」であった。そして、このホテルの住人、ホテル界隈の如何わしいタイ人が面白く、とにかく飽きなかった。
正義感溢れる向学心に満ちた年金生活者
私とは馬が合わず、「月夜の晩ばかりやないんやで」と嫌味を言われ、こちらも睨み返すという最悪の間柄ではあったが、それでも一番記憶に残っているのが「一休」と呼ばれていたこの初老男性である。年金生活者であった彼は、その年金を最大限有効に生かすためタイでの生活を選んだ。これといってお金のかかる趣味をもたない一休さんだったが、向学心が高く、タイに来たばかりの若者にタイ語を教えることを何よりの楽しみにしていた。
正義感が強かったこともあり、平穏な生活を望みながらも、ちょくちょくもめ事を起こしていた。当時、語り草となっていたのが「一休ノックアウト事件」。
ジュライホテルの前は噴水広場となっており、浮浪者・売春婦・シンナー中毒者・ヒモなど、さまざまな輩がたむろしていたが、ある日、ひとりの売春婦が稼ぎが悪かったのかヒモから一方的に殴られていた。この状況を目撃した一休さんは余計な男気を出し、そのヒモに「女を殴るとは何事だ。俺の部屋でじっくり話をしよう」と声をかけ、二人を部屋に連れて行った。しかし、部屋に入ったところで、そのヒモにいきなり殴られ、ノックアウト。逃げ出したヒモはたまたま居合わせた日本人旅行者に取り押さえられたが、一休さんは頭部から大量出血し、病院に担ぎ込まれることになった。それでも負けん気の強い彼は、「油断していなければあんな野郎には負けなかった」と息巻いていた。ただ、最期は日本に戻り、病院でその人生を終えている。
騙しやすい日本人を狙った自称トヨタ勤務の女詐欺師
ジュライホテル界隈のタイ人有名人といえば「クロブタ」と呼ばれていた中年女を挙げないわけにはいかない。昼間からジュライホテルの前の屋台でたむろしており、「私はトヨタの社員」と自己紹介し、タイに来たばかりの日本人をカモにしていた。普通に考えて、トヨタの社員が昼間からこのような如何わしい場所にいるわけないのであるが、それでも信じる日本人がいた。最初は安い飲み物や食事を驕り信用させ、その後に「母親が入院して金のネックレスを質に入れた。明日までにお金を用意しないと質流れしてしまうが、給料日は1週間先。申し訳ないが貸してくれないか」と懇願。ここでカネを渡してしまうと、その日本人がジュライホテルからいなくなるまで姿をくらますことになる。そして、ほとぼりの冷めたころに舞い戻り、新しいカモを見つけるのであった。
ところで、1度、騙された日本人が再びジュライホテルに宿泊し、偶然、クロブタと再会してしまったことがある。貸したカネを返すよう求めたが、当然、拒否。このため、警察沙汰となってしまった。しかし、その日本人はタイ語はもちろん英語もダメ。そのため、警官がジュライホテルに通訳を探しにきて、たまたまホテルの前で暇をしていた私が警察署に連れていかれることになった。この時は警官がクロブタに厳重注意しており、カネを返すよう命令。すこしだけタイの警官を見直すことにもなった。
日本のTV番組にも出演したジュライの「アイドル」
かつて日本のTV番組にも出演したことのあるタイ人女性のポンちゃん。愛らしい容姿と堪能な日本語でジュライホテルおよび楽宮大旅社(1泊60バーツ)の宿泊者の一部に人気があった。身を売っていたが特定の日本人客から生活を支援されていたため、金回りは悪くなかった。ただ、違法薬物に手を出し、密売もしていたことで警察のお世話にもなっている。スクムビット通りの泰日経済技術振興協会付属日本語学校にも通ったことがあり、漢字の勉強をしている姿を時々見かけたが、結局、不治の病で長くない人生を終えた。気は強く浮気性だったが、挨拶すると返ってくる彼女の優しい笑顔は今も懐かしく思う。
ちなみに、この界隈のもうひとりのアイドルはジュライホテルの受付で働いていた女子学生風の女性。美人というより可愛らしく、また塩対応なとことも人気があった。まあ、ジュライホテルの宿泊者の日頃の行動を知っているだけに塩対応だったのも当然といえば当然なのだが。